この回の台本を読む(9分04秒・カズキとリサの会話)
リサあの人は、なぜそれを選んだのか。偉人の選択。第14回は、小栗上野介忠順です。
カズキこの番組は、史料と研究をもとに、AIの音声でお届けする歴史の物語です。
カズキ1868年、旧暦の1月。鳥羽・伏見の戦いのあと、将軍だった徳川慶喜が江戸へ戻ってきた。江戸城では、これから戦うのか、頭を下げるのか、大事な話し合いが開かれる。今日の主人公は、そこで戦うべきだと訴えた人。小栗上野介忠順。おぐり こうずけのすけ ただまさ、と読む。
リサ戦うか、頭を下げるか。前に聞いた勝海舟の回は、江戸城の明け渡しにつながった側の話でした。小栗さんは、その反対側にいた人ってことですか。
カズキそう。同じ時期の、反対の選択だ。ただ、どちらかを悪者にする話にはしない。二人とも、それぞれに何かを守ろうとしていた。今日は、そこを見ていきたい。
リサでも、負けた側の主張って、あとから見ると分が悪いですよね。どうして今、その人を取り上げるんですか。
カズキ負けた側にも、その時に見えていた景色があるからだ。まず小栗がどんな人かを話そう。
カズキ幕府で、お金の管理を担う勘定奉行を務めた人だ。1860年には、アメリカへ向かう使節団に監察役の目付として加わって、海の向こうを自分の目で見ている。
リサ財布を預かる人が、アメリカまで。会社の経理の人が、海外の工場を見に出張する、みたいな感じですか。
カズキ近いかもしれない。そして、帰ってきてからが本番だ。
カズキ1865年、フランスの協力を得て、横須賀に製鉄所と造船所をつくる事業を進めた。巨額の借金もともなう大仕事だ。
カズキ1866年には、外国との関税の交渉でも中心になっている。関税というのは、外国から入ってくる品物にかける税金のことで、その率をどうするかを決める交渉だ。
カズキ西洋のやり方を取り入れて、幕府の力を立て直そうとした人、と言っていい。
リサ輸入するお菓子の値段が、税金でぜんぜん変わるのと同じ話ですよね。国どうしでそれを決めるのって、責任が重そうです。幕府を守るために新しいものを入れたのに、その幕府が戦に負けてしまったんですね。
カズキそこで、評定になる。小栗は、徹底して戦うことを主張した。
カズキ伝わるところでは、箱根で新政府軍を迎え撃ち、海からは艦隊で補給の道を断つ、という策だった。
カズキただ、この策の中身は、ひとつの記述に頼る部分が大きい。「と伝わる」くらいに受け止めてほしい。
リサ補給を断つって、ゲームで言えば、相手の拠点に物資が届かないようにして、じわじわ弱らせる作戦ですよね。それ、本当に勝てたんでしょうか。
カズキそこが、誰にも分からない。
カズキのちに新政府側の大村益次郎が、小栗の策が実行されていたら自分たちの首はなかった、と語ったと伝えられる。
カズキでもこの話も、出どころがはっきりしない逸話だ。だから、勝てたはずだ、と言い切ることはできない。
リサ言い切れないのに、戦うって言ったんですよね。怖くなかったのかな。
カズキ本人の内心は、史料からは分からない。想像だが、幕府を立て直すことに力を注いできた人にとって、戦わずに引くのは、自分の仕事を手放すように感じられたかもしれない。もちろん、これはあくまで想像だ。
カズキ結果として、慶喜が選んだのは恭順、つまり戦わずに従う道だった。小栗は、旧暦の1月15日ごろ、勘定奉行をやめさせられたとされる。
リサ慶喜さんは、どうして戦わない方にしたんですか。将軍なのに、自分で決めたってことですよね。
カズキその胸の内を、はっきり示す材料は、残っていない。だから、慶喜が臆病だったとか、賢かったとか、そういう決めつけは避けたい。確かなのは、戦わない道が選ばれて、反対した小栗がその役を外された、という流れだ。
リサつまり、クビってことですか。ずっと走ってきた仕事を、いきなり。
カズキその月の末には、自分の領地がある上野国の権田村、いまの群馬県高崎市の倉渕町に引っ込みたいと願い出て、許された。2月の末に江戸を発って、3月の初めごろ、村に入る。そこで小栗は、農民を兵として訓練する農兵の育成に力を入れた。
リサ村で、何をするつもりだったんでしょう。まだ戦う気だったんですか。
カズキそこは、材料が足りなくて分からない。農兵を育てたことは確かでも、その目的までは言えない。
リサ農兵って、ふつうの兵隊と何が違うんですか。
カズキ武士ではなく、村の農民を兵として訓練する、という意味だ。幕府が、西洋式の軍の考え方を取り入れていた流れの中にある、と読むこともできる。ただ、これは私たちの読みで、小栗本人がそう考えたと言い切る材料はない。
カズキ閏4月。小栗は、東山道軍と呼ばれる新政府軍の部隊に捕らえられた。そして烏川の河原で、斬首された。日付は閏4月6日とする説が多いけれど、5日とする辞典もある。
リサ理由は、何だったんですか。
カズキはっきりしない。大砲や小銃を持っていたこと、農兵を訓練していたこと、さまざまな説がある。徳川の埋蔵金を隠していた、という話も有名だけれど、それを裏づける根拠は見つかっていない。
リサ亡くなったあと、横須賀の製鉄所は、どうなったんですか。
カズキ横須賀の施設は、のちの横須賀工廠へとつながっていく。後の時代の人々が、小栗の仕事を高く評価した言葉も伝わっているけれど、多くは出どころがはっきりしない。それでも、造ったものが残ったことは確かだ。
リサじゃあ、勝海舟と並べると、どうなるんですか。私、どっちかが正しかったって言いたくなっちゃうんですけど。
カズキその気持ちは分かる。勝の道は、江戸城の明け渡しへとつながった。ただ、それで小栗の考えが間違いだったと証明されるわけじゃない。もし戦っていたらどうなったかは、確かめようがないからね。なお、小栗と勝が評定の場で直接ぶつかった、という確かな記録は、伝わっていない。激しい口論を想像しがちだけれど、そこは足さないでおく。想像だが、二人とも、幕府と、そこに生きる人たちの先を考えていた。違ったのは、何を一番に守るか、そしてそのやり方だった。それも、本人たちの言葉が少なくて、断定はしにくい。
リサ私、グループ課題で、締め切り前にもう無理だから内容を絞ろうって言う人と、最後まで全部やろうって言う人で、割れたことがあるんです。どっちもグループのことを思ってるのに、決めるのがすごくしんどくて。
カズキいい例えだ。ただ今回は、失ったものが違う。小栗は役職を外され、自分から江戸を離れる道を願い出て、そして命を落とした。
リサ小栗さんは、立派な人だったって言っていいのかな。それとも、間違えた人なんでしょうか。
カズキどちらも、言い切らないでおきたい。先を見る目と、方針を曲げない固さが、同じ人の中にあった。そう受け止めるくらいで、ちょうどいいと思う。
カズキ最後に整理しよう。1868年、旧暦の1月。小栗は評定で徹底して戦うことを主張して、退けられた。その後、権田村へ退き、閏4月に斬首された。残ったのは、横須賀の施設と、ひとつの問いだ。
リサ問い、ですか。
カズキ勝てるかどうか分からなくても、守りたいもののために戦うか。それとも、勝ち目が見えなくても、頭を下げて町を守るか。あなたなら、どちらを選ぶだろう。小栗は、なぜあの道を選んだのか。また次の人物で。