この回の台本を読む(11分43秒・カズキとリサの会話)
リサあの人は、なぜそれを選んだのか。偉人の選択。第16回は、宇野千代です。
カズキこの番組は、史料と研究をもとに、AIの音声でお届けする歴史の物語です。
カズキリサさん、宇野千代って知っていますか?
リサNHK連続テレビ小説「ブラッサム」の主人公・木村珠のモデルになった方ですよね。
カズキそうです。朝ドラのモデルにもなった作家です。1897年、山口県の岩国に生まれて、1996年、98歳で亡くなるまで書き続けた作家です。ただ、今日見るのは、作品の話ではありません。もうひとつの顔、会社の経営者としての宇野千代です。
リサ作家なのに、会社を?
カズキ服飾雑誌『スタイル』を出した、スタイル社です。宇野千代は、その創立者として関わりました。この会社が、のちに行き詰まった。そして、巨額の負債が残った。複数の資料が、そう伝えています。倒産のときの肩書や、負債が誰の名義だったかまでは、確かめられていません。
リサ巨額って、いくらくらいなんですか?
カズキそれが、資料によって金額が大きく違うんです。だから今日は、金額は言いません。巨額の負債、までにします。
リサそんなに曖昧な話を、取り上げるんですか。
カズキはい。曖昧なところは、そのまま曖昧だと言いながら進みます。今日の問いは、借金が残ったとき、人はどうするのか。宇野千代は、どう動いたのか。
リサ気持ちも聞けるんですか?
カズキそこは、今回確認できた資料の範囲では、本人の心の中を直接語ったものが見つかっていません。だから気持ちは追いません。何をしたのか、それだけを追います。
カズキまず、宇野千代という人の歩みを、ざっと見ておきましょう。
カズキ岩国の高等女学校を出て、上京。1921年、懸賞小説『脂粉の顔』が入選して、作家としての道に入ります。
リサデビューは、20代なんですね。
カズキええ。そして1936年、スタイル社をつくって、服飾雑誌『スタイル』を創刊します。作家が、自分で出版社を持ったわけです。
リサ作家と社長、二足のわらじですね。
カズキ1938年には、文芸誌『文体』も創刊します。1939年には作家の北原武夫と結婚。その北原とともに、雑誌づくりに関わっていきます。
リサ夫婦で出版社、ですか。
カズキ戦時中、『スタイル』は一度途絶えたとされます。いつまで出ていたかは、資料で意見が割れているので、ここでは、戦後に復刊した、というところまでにしておきます。
リサそのあいだ、小説は?
カズキ書き続けています。代表作のひとつ『おはん』は、1947年に連載が始まりました。完結して本になったのは、1957年です。野間文芸賞と、女流文学者賞を受けました。
リサ十年かけた小説と、会社の経営が、同じ時期に動いていたんですね。
カズキそうなんです。『おはん』の連載の途中の1952年には、会社の側で、大きな問題が起きています。それを、これから見ていきます。
カズキ1952年。資料によれば、スタイル社に国税当局の査察が入り、追徴課税を受けたとされます。
リサ査察って、何ですか?
カズキ脱税の疑いがあるときに行われる、強い調査のことです。この件は、年が複数の資料で一致していますが、追徴された金額は、確かめられていません。
リサ会社に、お金の問題が出てきたんですね。
カズキそして1959年。スタイル社は、倒産した、と複数の資料が書いています。ここでひとつ断っておくと、この倒産の話は、辞典類には出てきません。出てくるのは、読み物や自治体の紹介です。年は一致しますが、詳しい中身まで確かめられたわけではありません。
リサ辞典には、作家としての話しか載っていないんですね。
カズキそうです。でも、この会社の行き詰まりが、宇野千代の人生の大きな局面だったことは、複数の資料が示しています。
リサその時、宇野千代は何歳だったんですか。
カズキ生まれた年から数えると、60代前半の頃です。
リサ普通なら、そろそろ落ち着きたい年ですよね。
カズキそれが、この年齢になって、巨額の負債が残ったとされます。
カズキでは、ここからです。会社が行き詰まったあと、宇野千代は何をしたのか。
リサ逃げた、とかじゃないんですよね。
カズキ資料が伝えるのは、むしろ逆です。土地や別荘、住まいを手放して、返済に充てた、とされています。この部分は、山口県の観光サイトなど、二次資料の記述です。
リサ家まで手放したんですか。
カズキ宇野千代は、着物の仕事を、返済にも充てたとされます。自分でデザインした着物を売った、という資料もあります。着物の仕事自体は、会社が行き詰まる前からありました。
リサ小説を書くだけでは、足りなかったんでしょうか。
カズキそれは分かりません。ただ、北原武夫のほうも、執筆の収入で返済に加わったとされます。夫婦で、それぞれのやり方で返していった、ということです。
リサどうして、そこまでして返す道を選んだんでしょう。
カズキそこが、今日いちばん正直に言わなければならないところです。なぜそうしたのか、本人がどう考えていたのかを裏づける資料は、今回確認できていません。
リサじゃあ、想像でもいいですか。
カズキ想像だと断ってなら、いいと思います。
リサこれは私の想像ですけど。負債が残って、手放すものも手放して、それでも返す。ほかの道もあったのかな、という気がします。
カズキそこは、はっきりしたことが伝わっていません。ほかにどんな道があったのか、実際にどう検討したのか、分からないんです。確かなのは、手放して、返済を続けた、とされること。それだけです。
カズキ返済は、何年も続きました。五年ほどとする資料もあります。
リサ五年。短くはないですね。
カズキそして、1964年。借金は、完済されたとされます。
リサやりきったんですね。
カズキええ。ただ、その代償は小さくなかった。住まいや土地は手放したとされ、夫の北原武夫にも、執筆で返済を担うという負担がかかりました。
リサ宇野千代ひとりの問題じゃなかったんですね。
カズキそうです。そしてもうひとつ、同じ1964年のことがあります。宇野千代は、北原武夫と離婚しています。
リサえっ。借金を返し終わったのと、同じ年に?
カズキはい。完済と離婚は、同じ1964年です。
リサ理由は何だったんですか?
カズキ完済を機に離婚した、と書く資料はあります。ただ、理由を示す確かな記録は、確認できていません。ここでは、同じ年だった、という事実だけを置いておきます。
リサ返し終わったから、別れた、ということですか。
カズキそう結びつけたくなりますよね。でも、確かめられる理由は見当たりません。だから、結びつけないでおきます。
カズキ完済のあと、宇野千代はどうなったか。作家としての仕事は、むしろここから大きく実っていきます。
リサどういうことですか。
カズキ1970年代にかけて、文学の賞や芸術院の賞を受けます。そして1982年から83年にかけて、自伝『生きて行く私』が新聞に連載され、本になりました。これがベストセラーになります。1982年には、菊池寛賞も受けています。
リサ八十代で、ベストセラー。
カズキ1990年には、文化功労者に選ばれました。そして最後の著作が、1995年12月に出た、『私何だか死なないような気がするんですよ』。これは題名として、確かな記録があります。
リサすごい題名ですね。
カズキ本人の発言として語る読み物もあるのですが、いつ、どこで言ったのかは分かっていません。ここでは、題名としてだけ、紹介しておきます。
リサあれ、でも、さっきの『おはん』は、会社が行き詰まる前に完結してましたよね。
カズキはい。1957年の完結です。連載の途中の1952年には査察があり、完結の2年後、1959年に会社が行き詰まったとされます。作家としての仕事と、事業の苦境は、重なる時間の中にありました。
リサ作家の宇野千代と、経営者の宇野千代が、同じ人の中に同時にいたんですね。
リサカズキさん、まとめるとどういう話でしたか?
カズキ整理します。服飾雑誌『スタイル』を出したスタイル社は、1959年に行き詰まった、とされます。巨額の負債が残り、宇野千代は土地や住まいを手放し、着物の仕事などで返していったとされます。夫の北原武夫も、執筆で返済を担ったとされます。そして1964年、完済した、とされます。
リサただ、倒産のくわしい中身は、まだはっきり分からないんですよね。
カズキはい。今回の話の多くは、辞典ではなく、二次資料に基づいています。金額も、刊行期間も、資料によって違います。
リサそれと、私は少し気になります。返したから偉い、って言い切っていいんでしょうか。
カズキいい質問です。会社が行き詰まって、査察で追徴課税を受けた。巨額の負債が残った。それは経営の側の問題でもあります。夫の北原武夫にも負担がかかりました。返したから立派、とは、簡単に言えないと思います。
リサでも、手放して、続けたことは事実なんですよね。
カズキええ。そこは、事実として残っています。
リサ宇野千代は、幸福について何か言っていますよね。
カズキある本の紹介文には、幸福は自分で見つけにいくもの、という趣旨のことが書かれています。宇野千代本人の言葉の原文は、私たちはまだ確かめられていません。だから、そう伝わる、とだけ言っておきます。
リサどん底でも、自分で見つけにいく、ですか。
カズキそう結びつけたくなりますよね。でも、それが宇野千代の返済の日々の気持ちだったかどうかは、分かりません。
リサ返し続けるって、毎日の積み重ねですよね。あなたなら、それをどう続けますか。
カズキそれは、聞いている方それぞれの問いにしましょう。事実として言えるのは、手放して、売って、書いて、返したとされること。その結果が、1964年に出た、ということです。
カズキもし、あなたの手元に、思い描いたとおりにならなかったものがあったとき。何を手放して、何を続けますか。また次の人物で。