あの人は、なぜそれを選んだのか

偉人の選択

トップ / 第2回

第2回

豊臣秀長多武峯(談山神社)の郡山移転

1585年(天正13年)〜 ・ 11分28秒

1585年、兄・秀吉から大和の国を任された豊臣秀長。兄が命じた山上の寺の移転を、現地の責任者としてどう進めるのか。命令は曲げない、けれど混乱や略奪は許さない――。本人が書いた書状を手がかりに、天下人の弟の選択を読み解きます。

この回の台本を読む(11分28秒・カズキとリサの会話)
リサあの人は、なぜそれを選んだのか。偉人の選択。第2回は、豊臣秀長です。
カズキこの番組は、史料と研究をもとに、AIの音声でお届けする歴史の物語です。
カズキある夜、山を下りていく人影があった。荷物もろくに持たず、ただ逃げるように。
リサ逃げる……? 誰かに追われていたんですか。
カズキ追われていたわけじゃない。逃げていたのは、命令からだ。命令を出したのは兄。現地で、それを実行する役目を負ったのは弟だった。命令の中身は、山の上の寺を、ふもとへ、そして新しい城の城下へ移すこと。
リサお寺を引っ越しさせる、ってことですか。それ、命令ひとつでできるものなんですか。
カズキ簡単にはいかなかった。寺の人たちの中には、移るのを拒んで、山から逃げ出す人が次々と出た。
リサ合戦じゃないのに、ずいぶん大ごとですね。
カズキ合戦じゃないからこそ難しい、とも言える。1585年、豊臣秀吉の弟・豊臣秀長が、大和の国で向き合った選択の話だ。
リサ秀長って、秀吉の弟ですよね。正直、あまりよく知らないです。
カズキ1585年閏8月、四国攻めの功績で、大和・紀伊・和泉の3か国、100万石を与えられて、大和郡山城の城主になったばかりだった。同じ年の7月には、兄の秀吉が関白に就いている。
リサ100万石の新しい殿様。順調そうに聞こえますが。
カズキそこが大和の難しさなんだ。この土地では、興福寺や春日大社などの寺社が、室町時代から強い自治の力を持ち続けてきた。今日の舞台・多武峯寺、今の奈良県桜井市にある談山神社(藤原鎌足の神像「大織冠(だいしょくかん)」を祀る)も、その一つだ。大和を実際に治められるかどうかが、秀長にとっての急ぎの課題だった。
リサそれで、何が起きたんですか。
カズキ秀吉と秀長が大和に入った直後、多武峯の中では、老衆と若衆の対立が激しくなっていた。武具を取り上げるような内輪もめまで起きていたことが、同じ時代の日記『多聞院日記』に記されている。
リサちょっと待ってください。老衆、若衆って、お寺の中に、そもそも誰が決める係なのか、よく分からないです。
カズキそこが大和の寺の独特なところだ。多武峯寺には「三輩」と呼ばれる最高の意思決定の層があって、その下に年長の「老衆」、若い「若衆」からなる衆徒の集団が、独自に物事を決めていた。つまり、新しい殿様が来ても、「誰に話を通せば寺が動くのか」が、そもそも一本ではなかった。
リサややこしいですね……。それで新しい支配者が来たわけですね。
カズキそう。そして1585年9月3日から4日にかけて、秀吉は多武峯の坊舎、つまり僧たちの住まいを、山のふもとへ移すよう命じた。
リサ命令したのは秀吉なんですね。秀長じゃなく。
カズキここは大事なところだ。命令の出どころは兄の秀吉。秀長は、大和の現地の責任者として、それを実行する立場だった。
リサ寺の人たちは、素直に従ったんですか。
カズキ特に若衆を中心に、移住に応じず、「逃散(ちょうさん)」する者が続出した。逃散というのは、集団で土地を離れてしまう、当時の抵抗のやり方だ。
リサ無理に従わせれば反発が大きくなる。でも放っておいたら……。
カズキ新しい統治者の命令が通らない土地、ということになる。秀長は秀吉の命令を確実に実行しなければならない一方で、寺の中のことを尊重し、混乱を避けたい思惑もあった、という状況に置かれていたと研究では読まれている。
リサ秀長は、どうしたんですか。
カズキここから、この局面の面白さがよく分かる。実は、この出来事は、立場の違う四人が、それぞれ一枚ずつ文書を出すことで動いていく。
リサ四人?
カズキまず1枚目。秀吉の命令。今聞いた、1585年9月の坊舎移転の命令だ。これはもう出てきた。
リサはい、兄の秀吉の命令、ですね。
カズキ2枚目。ここで、秀長自身の言葉が出てくる。1585年9月6日付で、山のふもとの「多武峯門前」に宛てた、秀長本人の書状だ。
リサ本人の手紙! 何て書いてあるんですか。
カズキ今の言葉にすると、おおよそこうなる。「多武峯のことは、関白様が命じられたとおりに、少しも違えてはならない。不当な言いがかりをつける者がいれば、すぐに処置せよ。寺の中のことは両方の門前に預けてあるので、家財を散らして火事などが起きれば、処罰する」。
リサ前半は「兄の命令は絶対」。後半は……取り締まりですね。
カズキそう。命令はいささかも曲げない。でも、どさくさに紛れた言いがかりや略奪、火事のような無秩序は許さない。秀長が自分の言葉で示したのは、この二つだ。ただ、秀長がこれを書いたとき、心の中で何を望み、何を恐れていたかを直接書いた記録はない。残っているのは、何を命じたか、という言葉だけだ。
リサ寺の人たちの味方なのか、敵なのか、どっちとも言えない手紙ですね。
カズキそこがこの書状の面白さだと思う。だが、1か月たっても、なかなか進まなかった。
リサそれで3枚目が出てくるんですね。
カズキ3枚目。1585年10月3日、秀長の重臣・横浜一庵良慶(よこはま いちあん りょうけい)が、秀長の意を受けて、多武峯に書状を送った。
リサまた違う人の名前が出てきました。今度は何と?
カズキ「郡山の近くに坊舎を建てる者には六千石を渡す。そうしない者には一切渡さない」。二つに一つを選ばせる、最後通告のような内容だ。
リサそれはもう、事実上の強制じゃないですか。
カズキそう受け取れる。ただ、言葉の主は秀長本人ではなく、重臣の横浜一庵だということは、区別しておきたい。
リサそれで、寺は移ったんですか。
カズキ移った人たちと、残った人たちに分かれた。郡山の城下にできた「新多武峯」と、元の山に残った「本峯」。寺が、二つに割れたんだ。
リサ……割れちゃったんですね。
カズキ郡山の新しい坊舎は1586年に完成した。多武峯への影響力を強めようとしていた青蓮院門跡・尊朝(そんちょう)は、むしろこれを歓迎する態度を見せた。六千石が保証されて、寺が存続を許されたからだ。
リサ喜んだ人もいたんですね。でも、逃げた若衆たちにしてみれば、長年いた場所を追われたわけで……。
カズキそこは忘れずにおきたい。移った側は経済的な保証を得たけれど、長く続いてきた山の聖地を離れることになった。拒んで逃げた人たちもいた。誰にとっての成功だったのかは、立場によって違う。
リサ神像の「大織冠」は、どうなったんですか。
カズキそれが、4枚目の文書だ。大織冠そのものが郡山へ移されたのは、ずっと後の1588年4月。そしてそれを実行させたのは、秀長ではなく、また秀吉だった。所司代・前田玄以を通じて出させた「長者宣(ちょうじゃせん)」という文書による。
リサまた秀吉……。命令、実行、最後通告、遷座。四枚の文書、それぞれ出した人が、全員違うんですね。
カズキそう。命令は秀吉、現地での実行と取り締まりは秀長、最終条件を突きつけたのは重臣、神像を移すと決めたのは秀吉。どの一人が全部決めたわけでもない。それぞれの役割は分けて見る必要がある。
リサ秀長が全部決めたわけじゃない、というのが、聞いてみると意外でした。
カズキちなみに、同じ論文は、秀長が1587年の終わりごろから病気がちになっていたことに注目して、神像の遷座には秀長の病気の回復を祈る意味があったのでは、という仮説も示している。
リサ仮説、なんですね。
カズキあくまで研究者の解釈だ。断定はできない。
リサ結局、この出来事は何を変えたんですか。
カズキ大和の寺社が長く保ってきた自律性は大きく後退して、豊臣政権の支配が強まった。ただ、この移転が「寺社勢力の弾圧」だったのか、「秀長の病気平癒を祈る措置」だったのかは、研究者の間でも見方が分かれている。この番組では、どちらかに決めつけない。
リサ弾圧なのか祈りなのか。同じ出来事でも、ずいぶん見え方が違いますね。
カズキそして、この話には後日談がある。1591年、秀長が亡くなると多武峯は元の山へ戻り、寺領も1万5000石から6000石に減らされた。そのころ、「秀長が亡くなったのは大織冠の罰だ」という噂が立った、と『当代記』という記録に書きとめられている。
リサ……秀長がいなくなったら元に戻って、祟りの噂まで。
カズキ当時の人々がそう噂した、ということまでは記録から分かる。でも、それはあくまで結果から振り返って語られた噂で、本当に因果関係があったという話ではない。噂は、噂として受け止めておこう。
カズキ振り返っておきたい言葉は三つ。1585年(天正13年)、秀長が大和郡山城主になり、多武峯の移転が命じられた年。「大織冠」(多武峯に祀られていた藤原鎌足の神像)。そして「新多武峯」(郡山の城下に移された新しい寺地)。
リサ秀長の手紙、最後まで引っかかってます。「命令は絶対。でも略奪や混乱は許さない」。あれは寺の人たちへの配慮だったんでしょうか。
カズキそうとも読めるし、混乱を抑えて支配を確実にするための、筋の通ったやり方だったとも読める。史料が教えてくれるのは、秀長が何を命じたかまでだ。
リサ長く自分たちで決めてきた人たちを、新しい支配者はどこまで動かしていいのか。四枚の文書、誰も単独では決めていない。それも簡単には答えが出ませんね。
カズキ移った人は守られたものがあり、失ったものもあった。拒んだ人にも、守りたいものがあった。兄の命令と、目の前の土地のあいだで、この人はどう振る舞ったのか。あの人は、なぜそれを選んだのか。また次の人物で。