この回の台本を読む(8分01秒・カズキとリサの会話)
リサあの人は、なぜそれを選んだのか。偉人の選択。第8回は、石川数正です。
カズキこの番組は、史料と研究をもとに、AIの音声でお届けする歴史の物語です。
カズキある夜、一人の男が、妻と子と、大勢の家臣を連れて、城を出た。向かった先は、ついこの前まで敵として戦っていた相手のところだった。
リサ敵のところへ……? それって、裏切りってことですか。
カズキそう言われることが多い。だけど、この話の本当に不思議なところは、裏切ったことそのものじゃない。なぜ裏切ったのか、その理由が、今になってもまだ分かっていないことなんだ。
リサ理由が分からない……? 本人に聞けばよかったじゃないですか。
カズキ聞けなかった。本人が理由を書き残した記録は、一つも見つかっていない。1585年、徳川家康の重臣・石川数正が、徳川を出て豊臣秀吉のもとへ走った話だ。
リサ石川数正って、どういう人だったんですか。
カズキ家康がまだ「竹千代」と呼ばれ、今川氏に人質として預けられていた少年の頃からの側近だ。40年近く、ずっと家康のそばにいた最古参の家臣の一人だった。
リサ40年……。それはもう、ほとんど家族みたいな関係ですよね。
カズキしかも数正は、ただの古株じゃない。岡崎城代、つまり徳川の本拠地を任された責任者であり、同時に、秀吉との交渉を担う実務の責任者でもあった。1584年の小牧・長久手の戦いの後、秀吉にどう対応するか——徳川家にとって、一番大事な仕事を任されていた人物なんだ。
リサ小牧・長久手の戦いって、どっちが勝ったんですか。
カズキ実は、どちらが勝ったとも言い切れない、決着のつかない戦いだった。それなのに、織田信雄と秀吉が先に単独で講和してしまい、家康は取り残された形になった。
リサ味方に置いていかれたみたいな感じですね。
カズキそのあと、秀吉は徳川方に人質を出すよう求めてくる。徳川家中は、ここで秀吉に屈するべきか、抗い続けるべきかで揺れた。多くの家臣は「屈するべきではない」という強硬論でまとまっていったとされる。
リサ数正さんは、どっちの意見だったんですか。
カズキ数正は交渉役として秀吉と直接やり取りしてきた立場から、秀吉と和していくべきだという、融和の立場を取っていたと言われている。その結果、家中で次第に孤立していった、という見方がある。ただ、ここは注意しておきたい。この「孤立していった」という経緯は、複数の記事で語られているものの、当時の一次史料でどこまで細かく裏づけられるかは、記事によって差がある。
リサつまり、「たぶんそうだったんだろう」という話なんですね。
カズキそういう理解でいい。可能性の高い見方ではあるけれど、確定した事実ではない。
リサそれで、数正さんはどうしたんですか。
カズキ1585年11月13日、数正は妻子・一族・家臣団を引き連れて、岡崎を離れた。そのまま秀吉のもとへ向かった。これは複数の資料が日付まで一致して伝えている、確かな事実だ。
リサなぜ、そうしたんですか。何があったんですか。
カズキそれが——さっき言った、分かっていない部分なんだ。理由については、いくつもの見方がある。家中で孤立して進退に行き詰まったからだという見方。秀吉という人物の器量に惹かれたという見方。家康の長男・信康が切腹に追い込まれた1579年の出来事以来、家康との関係がぎくしゃくしていたという見方。中には、家康自身の密命を受けて秀吉のもとに送り込まれたのではないか、という見方さえある。
リサえっ、家康さんの指示だったかもしれないんですか。
カズキそう考える人もいる、という程度だ。これは少数の見方で、多くの研究はそこまでは言っていない。大事なのは、どの説も、数正本人が語った記録には基づいていないということだ。本人の口から出た理由は、一つも残っていない。
リサ……なんだか、宙ぶらりんな気持ちになりますね。
カズキ出奔は、徳川側に大きな衝撃を与えた。数正は徳川の軍制や城の構造まで知っている立場だったから、家康は出奔後、それまでの三河以来の軍のやり方を、滅んだ武田家の軍制——「甲州流」に、大きく改めたとされている。
リサ味方だった人が知りすぎていたから、仕組みそのものを変えないといけなくなった、ということですね。
カズキそういうことだ。そして徳川が秀吉との交渉役を失ったことで、両者の間の和睦の糸口も、一時失われてしまう。秀吉は翌年の正月、家康を討つ計画を決め、諸将に準備を命じた。
リサ戦争になりそうだったんですね。
カズキなりそうだった。ところが、1586年1月18日、中部地方を大地震が襲う。天正地震だ。秀吉の領国も大きな被害を受け、討伐の計画は実行できなくなった。この地震がなければ、どうなっていたか分からない。この続きは、また次の人物の話になる。
リサ数正さん自身は、その後どうなったんですか。
カズキ秀吉から河内国内で8万石を与えられ、1590年の小田原攻めの後には、信濃国の松本10万石(8万石とする資料もある)に移された。松本城や城下町の整備にも着手している。研究者の中には、この転身を「転職の成功」と評する見方もある。
リサじゃあ、結果としてはうまくいったんですね。
カズキ数正自身は、そう言えるかもしれない。ただ、話はそこで終わらない。1613年、数正の子・康長は、幕府内のある疑惑——大久保長安事件に絡んで、改易される。石川家は大名としての地位を失った。
リサ一度は成功したように見えても、その先までは安心できないんですね。
カズキ振り返っておきたい言葉は三つ。1584年の小牧・長久手の戦い。1585年11月13日の石川数正の出奔。そして、家康が軍制を改めた「甲州流」。
リサ結局、数正さんがなぜ出て行ったのか、今日の話では、はっきり分からなかったですね。
カズキ分からないんだ。それが、この話の核心だと僕は思う。孤立していたから、秀吉に惹かれたから、何か別の事情があったから——どれも「かもしれない」としか言えない。史料に理由が残っていないという事実そのものが、この物語を考える手がかりになる。
リサ長年仕えた相手のもとを去るのは、裏切りなのか、生き残るための選択なのか……。本人にしか分からないことが、本人の言葉抜きで、これだけ語られてきたんですね。……一期一会、ですね。あの時、数正さんと家康さんの間にあった40年近い関係も、あの夜で終わってしまった。
カズキそうだね。長く続いた関係も、ある夜、ふっと途切れることがある。この選択がなければ、次に起きること——秀吉と家康の話も、違う形になっていたかもしれない。あの人は、なぜそれを選んだのか。また次の人物で。