あの人は、なぜそれを選んだのか

偉人の選択

トップ / 第9回

第9回

徳川家康旭姫の輿入れと秀吉への臣従

天正14年(1586年)5〜10月 ・ 9分00秒

1586年、秀吉の妹・旭姫を正室に迎え、秀吉の実母・大政所を人質として受け入れたうえで、徳川家康は大坂へ上り秀吉に臣従しました。上洛すれば独立した立場を手放し、拒み続ければ全面戦争となるおそれがありました。家康が最後に応じた決め手は複数の要因が絡み、一つには絞れません。本編では、前回の石川数正出奔に続く出来事として、『屈服か、戦略的な生き残りか』という選択と、駒として動かされた旭姫・大政所の立場も追います。

この回の台本を読む(9分00秒・カズキとリサの会話)
リサあの人は、なぜそれを選んだのか。偉人の選択。第9回は、徳川家康です。
カズキこの番組は、史料と研究をもとに、AIの音声でお届けする歴史の物語です。
カズキある女性が、嫁ぎ先でもない、敵だった家の城へ向かっていた。嫁ぐ相手の女きょうだいでもなければ、娘でもない。送られたのは、その家の長男の、実の母だった。
リサお母さんを、敵のところに送ったんですか。なんでそんなことするんですか。
カズキその女性の名前は、大政所。息子は、天下人になろうとしていた豊臣秀吉。息子のために、自分の意思とは関係なく、人質として差し出された。1586年、徳川家康が、ある決断を下すまでの物語だ。
リサ家康さんが、何を決めたんですか。
カズキ前の回で、家康の重臣・石川数正が徳川を出奔した話をした。あの出来事のすぐ後に起きたことだ。秀吉に頭を下げるか、それでも抗い続けるか——家康が、ついに答えを出す話だ。
リサ石川数正さんが出て行ったあと、何が起きたんですか。
カズキ秀吉は一度、家康を討つ計画を決めた。けれど1586年1月18日、天正地震という大地震が中部地方を襲い、秀吉の領国も大きな被害を受けた。討伐は実行できなくなった。
リサ地震で、戦争が止まったんですね。
カズキ止まった、というより、秀吉が方針を変えたんだ。地震の後、秀吉は家康に、縁組を持ちかけてきた。自分の妹・旭姫を、家康の正室にどうか、という申し入れだ。
リサいきなり、戦争から結婚の話に……。
カズキそう。だけど家康は、すぐには応じなかった。
リサなぜ、すぐに応じなかったんですか。結婚と人質まで用意したのに。
カズキ結婚までは受け入れても、家康は、最後まで大坂へ上ることをためらった。上洛して秀吉に会うということは、徳川が独立した立場を手放すということだからだ。
リサ行かなければ、戦争になるかもしれないのに、それでも行きたくなかったんですか。
カズキそれだけじゃない。家康には、こんな懸念があったと伝えられている。上洛した先で、秀吉の心が変わって切腹を命じられる。それに怒った徳川の家臣たちが蜂起して、結局は全面戦争になってしまう——という恐れだ。
リサ行っても殺されるかもしれない。行かなくても戦争になるかもしれない。どっちも怖いじゃないですか。
カズキまさにそこが、家康が置かれた板挟みだ。ただ、これは当時の家康自身の言葉として直接記録されたものではなく、のちの記述で伝えられている内容だということは、断っておきたい。
リサ……本人が書き残したわけじゃないんですね。
カズキそう。それでも、徳川の家臣の中にも、家康の身を案じる声があったことを示す言い伝えが残っている。重臣の本多重次は、人質として岡崎に下っていた大政所の宿所の周りに薪を積んで、「家康が無事に戻らなければ火を放つ」という構えを見せたと言われている。
リサ薪を積んで脅したんですか。それ、本当にあったことなんですか。
カズキそこは注意したい。この薪の話は、後世に広く語られてきた言い伝えで、当時の記録でどこまで確かめられるかは分かっていない。番組では、史実として確定した出来事ではなく、「そう伝えられている話」として扱っておく。
リサそれで、家康さんはどうしたんですか。
カズキ1586年5月、旭姫が浜松に輿入れし、家康の正室となった。そして同年10月、秀吉は、旭姫の見舞いを名目に、実母の大政所を岡崎へ下向させた。事実上の人質だ。
リサお母さんまで出してきたんですね。
カズキそれを受けて、家康は10月14日に浜松を出発し、26日に大坂へ到着する。そして27日、ついに秀吉と対面し、臣従を誓った。この対面の前夜、秀吉自身が家康の宿所をみずから訪ねて、身分にこだわらず接したという話も伝わっている。ただこれも、薪の話と同じで、後世に語られてきた言い伝えとして扱っておきたい。
リサ有名な話なんですね、それ。
カズキよく知られた話だ。だけど、この番組では「言い伝え」と「確かな事実」をきちんと分けておきたい。確かな事実は、旭姫の輿入れの日付、大政所の下向、家康の上洛と対面の日付だ。
リサ家康さんは、なぜ最後に折れたんですか。
カズキここも、一つの理由には絞れない。大政所を人質に取ったことで、家康にある程度の安心が生まれたという見方。このまま全面戦争になれば徳川が不利だという、冷静な判断。そして、家康が朝廷から従三位・右近衛中将という高い官位を得られる、という実利。これらが重なった結果だと考えられている。どれか一つが決定的な理由だったと言い切れる記録はない。
リサ複数の理由が重なって、ようやく決心したってことですね。
カズキそう考えるのが自然だ。そして、ここで忘れてはいけないことがある。旭姫も、大政所も、自分の意思でこの縁談や人質の役目を選んだわけではない。政治の駒として差し出された二人自身が、何を思っていたのかを記した史料は、ほとんど残っていない。
リサ……そう考えると、嬉しい結婚の話とは、全然違いますね。
カズキ家康は、豊臣政権の中の有力な大名として組み込まれることになった。独立した対抗勢力という立場は、ここで事実上終わる。ただ、家臣団と領国そのものは保たれ、1590年の小田原攻めへの従軍を経て、関東へ移っても力を失わなかった。この服従が、のちの関ヶ原の戦いや江戸幕府の創設に至る足場を、結果として残したとみる見方がある。
リサ頭を下げたことが、後で見ると、生き残るための一歩だったみたいな……。
カズキ結果から見れば、そう言えるかもしれない。ただ、それは後から振り返っての評価だ。旭姫自身は、その後駿府に移り「駿河御前」と呼ばれたが、子はなく、1590年、京都の聚楽第で病に没した。
リサ政治のために差し出された人が、その先で幸せだったかどうかは、分からないんですね。
カズキ分からない。そこは、軽く扱いたくない部分だ。
カズキ振り返っておきたい言葉は三つ。1586年1月の天正地震。秀吉の妹・旭姫。そして秀吉の実母・大政所。
リサ家康さんが最後に折れた理由、結局はっきりしなかったですね。
カズキ官位か、軍事的な判断か、人質による安心か。どれも一つだけでは説明しきれない。複数の事情が重なって、ようやく人は動く——そういうことも、歴史にはよくあるんだと思う。長い時間をかけて力を蓄えた者も、ある選択の前では立場を変える。……諸行無常、ということかもしれないね。
リサそれ、教科書で見た気がします。
カズキそうだね、言い過ぎた。強者に頭を下げることは屈服なのか、家臣や領民を守るための戦略なのか。簡単には決められない。そして、その選択の裏で、自分の意思とは関係なく動かされた旭姫や大政所のことも、忘れずにいたい。
リサ前の回の石川数正さんの出奔から、地震があって、結婚があって、人質があって……。一つの選択が、ここまでつながっているんですね。
カズキそう。あの人は、なぜそれを選んだのか。また次の人物で。

この回をシェアする

XでポストLINEで送る