この回の台本を読む(11分50秒・カズキとリサの会話)
リサあの人は、なぜそれを選んだのか。偉人の選択。第4回は、蜂須賀正勝です。
カズキこの番組は、史料と研究をもとに、AIの音声でお届けする歴史の物語です。
カズキ出世が約束された相手と、将来がまったく読めない相手。どちらかに人生を賭けるとしたら、普通はどっちを選ぶ?
リサそんなの、出世が約束された方に決まってますよ。
カズキでも、この人は違った。確実な方を選ばず、身分も低く、将来がどうなるか誰にも分からない相手についた。その相手の名は、木下藤吉郎――のちの豊臣秀吉だ。
リサ秀吉につくのが「賭け」だったってことですか? 秀吉って、天下を取った人ですよね。
カズキそれは後から見れば、の話だ。この人がついた時点では、藤吉郎はまだ、誰も先が見えない、下っ端に近い家臣だった。蜂須賀正勝(はちすか まさかつ)――蜂須賀小六とも呼ばれる人物が、永禄9年、西暦1566年ごろに踏み出したとされる選択の話だ。
リサ蜂須賀小六って、名前は聞いたことあります。矢作橋で、野武士の頭の小六が、寝ていた少年時代の秀吉の頭を蹴って、そこで出会った……みたいな話じゃなかったですか?
カズキその話、よく知られているけど、後世の創作だと確認されている。矢作川に橋が架かったのは1601年以降とされ、正勝や秀吉が生きていた時代にはまだ橋そのものが無かった。初出は1797年の読み物『絵本太閤記』――秀吉の死後、約200年経ってから作られた物語だ。「野武士の頭」という人物像も、後の時代に広まった創作の色が濃い。
リサじゃあ、本当の正勝さんは、どんな人だったんですか。
カズキ1526年、尾張の生まれ。木曽川の水運を押さえていた土豪の集団「川並衆(かわなみしゅう)」、蜂須賀党の当主だった。正勝は若い頃、美濃の斎藤道三に仕え、その後は信長と対立していた織田家の分家――岩倉城主の織田信賢や、犬山城主の織田信清にも仕えている。つまり、一つの主君に縛られず、複数の勢力を自分の判断で乗り換えてきた、独立性の高い地域の頭だった。
リサ野盗の頭、じゃなくて、ちゃんと自分で選んで主君を変えてきた人、ということですね。
カズキそう。1560年、桶狭間の戦いのあと信長に従い、功を挙げている。この人は、言われたところに収まるだけの人物ではなかった、ということを覚えておいてほしい。
リサそれで、秀吉についたのが「賭け」だった、という話でしたよね。
カズキここからが今日の核心だ。事典などに広く載っている説明では、永禄9年、1566年、信長が美濃攻略のために築いた墨俣(すのまた)の砦――これを木下藤吉郎が築いたとき、正勝が藤吉郎に付属した、とされている。ただ、ここで断っておきたいことがある。
リサ断っておきたいこと?
カズキ『信長公記』という、信長の家臣が当時に近い時期に書いた記録には、墨俣の砦を修築したという記述はあるけれど、誰が修築したかは書かれていない。藤吉郎が築いたという話――特に「一夜で城を築いた」という有名な逸話は、江戸時代の『太閤記』系の読み物に由来する部分が大きい。根拠としてよく引用される『武功夜話』という文書も、多くの歴史研究者が偽物の疑いが強いと見ている。
リサその『武功夜話』って、どこから出てきたんですか?
カズキ当時、正勝と共に戦ったとされる前野家という家に伝わっていたもので、昭和になってから見つかった文書だ。こうした家に伝わる文書は、江戸時代、自分の家の功績や由緒を示すために書かれることが多かった、という歴史的な傾向がある。前野家もそうした目的で書いた可能性は考えられるが、この文書が具体的に何のために書かれたかを直接示す研究は、今回は見つかっていない。
リサえ、じゃあ、1566年に秀吉についたっていう話自体、怪しいんですか?
カズキ「怪しい」というより、「どこまでが確実で、どこからが通説か」をきちんと分けて考える必要がある、という話だ。この番組では、正勝が木下藤吉郎に付属したという1566年説を、事典レベルで広く採られている通説として扱う。ただ、一夜城の劇的な逸話や、矢作橋の出会いのような部分は、事実として描かない。
リサなるほど。それでも、「賭け」と言えるんですか?
カズキそこを考えるには、1566年当時の状況を見る必要がある。信長はこの時点で、まだ美濃の斎藤氏を攻め落としていない。美濃を完全に制するのは翌1567年のことだ。信長は後の天下人どころか、東に武田・北条・上杉、西に毛利・大友という強豪に囲まれた、地域の有力大名の一人にすぎなかった。
リサじゃあ、藤吉郎は、信長の家臣の中でも……?
カズキ低い身分の出で、当時はまだ、柴田勝家や丹羽長秀のような、信長の尾張・美濃以来の譜代の重臣に比べて、明らかに下位の家臣だった。正勝は、川並衆の当主として、斎藤道三や織田の分家を自分の判断で乗り換えてきた、独立した立場の人物だ。信長の家臣の中にも、もっと確実に出世しそうな相手は他にいたはずだ。その中で、低い身分の、まだ何者でもない藤吉郎に結びついていった――これが、今日の局面だ。
リサ正勝さんは、どうしてそんな、先の読めない相手を選んだんですか。
カズキそこが、今日いちばん正直に言わなければならないところだ。正勝が藤吉郎についたとき、何を考えていたか、「これは賭けだ」と自覚していたかどうかを示す、本人の言葉や同時代の記録は、今回の調査では見つかっていない。
リサえ、本人がどう思っていたかは、分からないんですか。
カズキ分からない。残っているのは、「正勝が藤吉郎に付属したとされる」という、結果に近い記述だけだ。ただ、分かっている事実を組み合わせれば、見えてくる構図はある。正勝は元々、自立した勢力の当主で、他の選択肢を持っていた人物だった。その正勝が、出世が確実な譜代の重臣ではなく、低い身分で将来の見えない藤吉郎の側についた。身分差と、当時の情勢の不確実性――この二つの事実を並べれば、「将来が読めない相手に賭けた」という見方は、無理な誇張ではなく、史実の骨格から導ける解釈だと言える。
リサでも、それは、正勝さん自身が「賭けだ」と思っていた証拠ではない……ということですよね。
カズキそのとおり。正勝が「これは賭けだ」と意識していたのか、それとも当時の武士としてはごく自然な流れでそうなっただけなのか、そこは史料が教えてくれない。この番組では、どちらかに決めつけず、「状況として賭けと言えるだけの不確実性があった」ということと、「本人がそれを賭けだと思っていたかは分からない」ということを、両方そのまま伝えたい。
リサ想像で埋めずに、分からないことは分からないままにする、ということですね。
カズキそう。史実の骨格はしっかりしていても、人の心の中までは、記録には残らない。
リサそれで、正勝さんはその後、どうなったんですか。
カズキ藤吉郎――のちの秀吉の配下として、山崎の戦い、賤ヶ岳の戦い、小牧・長久手の戦い、四国征伐と、各地を転戦していく。中でも天正6年から8年、1578年から80年にかけての三木合戦で戦功を挙げ、天正9年、1581年には播磨龍野城(はりま たつの じょう)の城主となった。石高は5万3000石。
リサ川の水運を押さえていた土豪の頭が、一国一城の主になった、ということですね。
カズキそういうことだ。1566年、まだ何者でもなかった藤吉郎についたときから数えて、15年。正勝は、独立した地域勢力の当主から、大名に近い立場の城主へと、人生を切り開いたことになる。
リサ結果だけ見れば、賭けに勝った、ということになりますか。
カズキ結果から見ればそう言える。ただ、ここでも注意しておきたいのは、「秀吉が天下を取ったから、正勝の選択が正しかったように見える」という、後から振り返るからこそ成り立つ見方だということだ。1566年の時点で、藤吉郎が後にどうなるかは、誰にも分からなかった。
リサ結果を知っている今の私たちだから、「賭けに勝った」って言えるだけで、当時は本当に、先が見えない話だったんですね。
カズキそういうことになる。
リサこの後、正勝さんの一族はどうなっていったんですか。
カズキ正勝はその後も秀吉の下で活動を続け、天正14年、1586年に大坂で亡くなった。享年61歳。正勝が切り開いた立場は、息子の家政(いえまさ)に引き継がれ、家政はのちに阿波(あわ)一国を治める大名、徳島藩の初代藩主となっている。
リサ1566年に、低い身分の藤吉郎に賭けたことが、結局は自分の代だけでなく、息子の代にまで続いていったんですね。
カズキそう言える。ただ、これもあくまで「結果としてつながった」という話であって、正勝が1566年の時点で、息子の将来までを見通していたという記録はない。見えていたのは、目の前の一つの選択だけだったはずだ。
リサ賭けが当たった結果、川の土豪の家が、大名の家になった、ということですね。
カズキそういう物語として、受け取ってもらえればと思う。
カズキ振り返っておきたい年号と言葉。永禄9年、1566年ごろ、川並衆の当主だった正勝が、まだ低い身分だった木下藤吉郎に付属したとされる年――これは事典レベルの通説で、一次史料で直接確認はできていない。天正9年、1581年、正勝が播磨龍野城主、5万3000石となった年――これは確実な事実だ。
リサ正勝さんが、本当に「賭け」だと思って藤吉郎についたのかは、結局分からないんですよね。
カズキ分からない。分かっているのは、将来の読めない低い身分の相手に、自立した勢力の当主だった正勝が結びついていったという状況と、その結果、一国一城の主にまで登った、という結果だけだ。その間にあった本人の迷いや覚悟は、記録には残っていない。
リサ聞いたことのある「矢作橋の出会い」みたいな、分かりやすいドラマは無かったけれど、身分差とか、情勢のほうから見ると、たしかにこれは綱渡りだったんですね。
カズキ派手な出会いの逸話がなくても、史実の骨格だけで、十分に綱渡りだったと言える選択だ。あなたなら、先の見えない相手に、自分の将来を預けられるだろうか。あの人は、なぜそれを選んだのか。また次の人物で。